驚き桃の木雨あられ

日頃の関心事、辛口論評やエッセイ。

悲鳴をあげるハードディスク。

ハードディスク(HDD)は消耗品で 寿命は平均4年だそうだ。

つまり読み書きできる時間は短い=== 重要なデータは別にバックアップ

する必要ありますね。自分のパソコンのHDDはとてつもなくデカイのです。

ヤッ「テラ」れないぐらい大きい、そうなんです僕の場合でも

メインPCにぶらさっがているハードディスクは17TBもあるのです。 

このうち重要なものはRAIDn つまりミラーリングを以前はしていましたが

最近はしていませんので動画や写真など重要なものはどこかに移動させないと 

と思います。

天災があってもここに退避させておけば残る・・・自分がこの世からいなくなって

も アマゾンプライムである以上は残ると思うとなんだか不思議ですがとにかく

アマゾンプライム会員であれば 無尽蔵に写真のみ アマゾンにて管理でき

るので 利用を検討したいけれどどうも 他者のサーバーへの格納は見られて

いるようで気が引けるのも事実です。

それと もしここだけに残しておくとすれば アマゾンプライムに年会費を

永久に支払うことになります。それがデメリットといえば これです。

今のパソコンの重要なHDDのバックアップも定期的に自分ですることが

必要ですね。

 

アマゾンでアップロード。

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本屋さんで立ち読みしてネットで買うのって。

ネットでの買い物が普通になってきている現代、僕もその中の一人である。

この前 本屋さんで立ち読みをした後 ポイントが付与されるし明日には

自宅に来るのだからと その場でスマホでヤフーショッピングあるいは

アマゾンでクリックして購入した。

これでは益々 街の本屋さんはいらなくなるね。

CDやDVDも同じ、本は立読み場所になっていく可能性がある、

それならアマゾン立読み店をリアルな世界で 登場させても良いかもな。f:id:asknom:20170208224148j:plain

実際ネットをしているシニア層50歳以上はネット人口の10%とか

20%といわれるぐらい少ないので 世代交代で後10~15年したら 

世の中の流通の構図は確実に ネットで買えてしまうリアル店舗

業態は確実に少なくなるね。 

 

FBというコミュニティとその先。

FBも利用の仕方によってはよても有用だ。

60代下限の年齢の人は若年になればなるほどFBに入っていると

思うが 若年でも全くやらないという人も最近多い。

 

もしかしたら 日本人のシニアの溜まり場に将来なっていく可能性もあろう。

街のお医者さんの待合いに シニア以上の人がたむろするよう

にFBに集うというサイバー場の 溜まり場として、それも空間を越える

ただ リアルでなく文字が主体なので誤解を互いに招いてしまうような

ことも多くなるだろうし こと嫌いな人は 友人申請しないし よせつけない

空間なので 偏りのある空間でもあろう。

 

また 欧米人はやたらに家族の写真や動画をアップしたりしないという、

それはプライベートなものをアップしないのは犯罪への糸口になりかね

ないからだ という認識が社会にあって自然とそうなるらしいが、

こと私達は平気で赤ちゃんや 子供写真をアップしてしまう危機感のない

国民らしい。

また 守秘についても 本人の名前を書けとくるFB。

そんな 義務も なかろうに。

マイナンバーを 嫌がるけど FBなら気軽に本名を出すというもの

おかしい、米国ペンタゴンデータベースに情報管理される

マイナンバー制度のようなものだ。

そのうちに 溜まっている全世界の人のFBのDBをどう使うかを

検討し始めるだろう。

まあ お金の情報はリンクしていないのだが、人生100年をFBに

書き続けていれば その人の趣味趣向 友人関係 社会とのかかわりは 

すべて 分析されるのは 当然であろう そんな場が FBである。

 

FBの友人リンク=そこから誰もみれないかと言えばそうでなく 

大元のデータはすべて米にあるということを忘れがちで そのうちすべての

情報が握られているんだということも 頭の片隅においておきたいものだ。

僕は 立場的にそういったことはしないのでいいのですが。

 

グーグルもFBは 遭難などで 個人データを沢山収集の副産物で

有用 便利になっていくことは いいけれど おせっかいに なるのでは

いけない。

 

僕なんか毎日 今日は・・・の誕生日です とか

この人知り合いですか? とね。

 

ピンポイントで そのうち 僕は監視され どこに今いて 

何をしているか健康状態は? まで スマホで連動されるだろうね。 

個人データ流出はもはや 個人がしている といっても過言ではない。

 

両刃の剣である。

 

民放テレビをホント見なくなった。

今に始まったことではないけれど 1日に TVを見る時間と

いったら平均15分あるかないか 夜の天気予報 トップニュース

ぐらいだ。

NHK大河も今年は面白くない感じなので見ない。

残すところ MXのよしもと新喜劇だったが これもマンネリかな。

 

放送大学のメニューの方が 面白いものねえ。

宇宙の起源とか オペラ座の建築の内部の話とか・・・

タモリさんの 探訪番組も タモリさんが 如何に地政学

詳しいじゃを 持ち上げている ところもあって

毎回  すごいですねえ とやっているのが鼻についてきて

最近 みなくなったかな。

 

LIFEは ためにみている。 昔の ゲバゲバ90分とか

オレたちひょうきん族 を NHKさんがやっているような番組。

で 時間もとられず 面白いかな。

後は バラエティは あいかわらず 芸能人寄せあつめでワイワイか

クイズ番組だろうけど チャンネルをひねれば 有吉君がでて やって

いる感じ。 なので テレビは家族がつけているのを コーヒーカップ

もって 素通りして PCへ向かうことの方が多い。

 

益々 民放テレビの 存在価値が なくなっているのではないかと 

思われる。

 

衛星放送も 止めた だって うちの マンションうつらないので

ケーブル加入しないといけませんし 第一アンテナも方角的に無理。

電波難視聴ビルですワ。

 

===>アマゾンプライムビデオ か GYAOで映画三昧となりました。

 

 

 

 

 

 

日本人POPSシンガーが世界で太刀打ちできないのは?

日本人のPOPS歌手が世界で太刀打ちできないのはなぜか?

1つは言語の問題だろうか。
どんなに国内で有名に なっても世界にいって歌ったら
あなたはシンガー?なのかと言われてしまうのは情け無いものだ。
イタリアにいったら 普通の人がすでに 響く声なので
日本流の細い歌声だと あんた何を歌っているの?って言われる。

この疑問はずっとあったが、名音楽プロデュサー曰く。
全米であつまった一流のシンガーの共演
 「We are The World 」 を聴けばわかるよ と言われたことがある。  

声量 歌唱力 訴求力 個性が キラキラ融合し独自性のあるのが
わかるからだ。 この歌手の声や歌を聴いた時、
日本人がよってたかっても 叶わないと・・・。

口先で 歌う つまり 男性の場合 地声の高音を逃げ
日本のPOPS発声をやっていては声量でなく 
完全にマイクがないと ホールでノーマイクで歌わせればわかるが 
美しさが剥げ 響かない やせた声になる。あれ?といった具合。
河村隆一さんが 昨今ノーマイクに挑戦しているが やっぱり
基礎のベルカントをやっていないので オケに負けてしまうし
男性的な 腹の押さえが やりずらそうだ。

その為どんなに美しく輝かしい声でも年齢をいけば声帯が落ち
廃れるものだ。

なので 僕は一旦地声のPOPS歌い方式 MIX的な歌い方や歌謡曲的な
歌い方を 5年前に捨て去りベルカント発声へ完全に指向した。
これまでのような 地声での高音の出し方はできなくなるよと言われたのを
覚えている。

なので 今は地声高音部は 逃げず体全体で支えることができる。
こうする事で 声量もつき 男性的な声を 出すことができる。

 

ところで ボブディランのノーベル賞は すばらしいものです。
平和を提言をした 詞の芸術表現における偉大さ、
アンチ戦争、メッセージを聴き手に任せているという。

歌は その人の心の鏡であるので 時に その時の心と状態と
重なり心をうつ。
メッセージというものは 永遠に記録されていく。

僕の歌のモットーは やはり 「We are The World 」のシンガー
達のような 歌の世界の一流の仲間入りで あって
何度もどこか聴いたことのあるような グルグル回っているだけの
そこらにある 日本のPOPSシンガーとは違う
新しい歌の世界の創造だ。

いのなかの蛙 大海を知らず にならぬように、
いつのまにか日本にいない 武者修行に 世界のどこかに
いるかもしれない。 一流を目指したいものだ。

明日は 秋のソロライブ。
楽しくも 緊張感をもって やってみたい。

オリンピック祝賀パレード80万人って!?

私は行ってはいないので ニュースで知った報道ではあるが
前回が50万人のファンだというから +30万人も増えた。

ニュース 報道では ファンと 言っているが ファンじゃなかろうに。

なんでも 人が あつまれば メディアはファンと称するクセがある。
凱旋パレードやるから  観光の街にたまたまいた人から、
見物に と見に来た人が大多数でなかろうか、
日頃から それぞれの競技や選手に関心があって 
日夜 応援し 視聴しているのであればファンと言えようが 
果たして。
なので 人出 と言うのが 正しいだろう。

マスコミの言動は 年齢がいけばいくほど 懐疑的になり
うのみにしなくなっていて コレって公平性にかけてはいないか? 
などと 斜め目線になってくる。 
報道は 人が信じやすく、戦争になれば テレビ・ラジオ・新聞局を
占拠するは 人民を 洗脳や誘導するためでもある。

しかし 80万人は 小さな街の何十倍もある。
大規模都市の人口に 匹敵する。

何故こんなに 増えたのだろうか。 あくまで私見だけれどー,

・他のテレビやラジオ放送も 今や 全く面白く無い。
・ニュースは 著名人がしでかした、有名人の痴話話ばかりで
 もりあがり 不正 汚職などばっかり、暗い。他人の悲しい話。
・お茶の間の崩壊。国民的な心の支柱がもはやない混沌とした時代。
・文化をリードする音楽や美術なども今一つ 面白く無い。
・大多数の人がインターネットをつかえない(シニア以上の人口)
 のに 若年中心ばかりの 話題や放送ばっかり。

なので ===>  スポーツだ! となる。

これも 私見であるが、

・やっている人達の 心が精神が 純粋。
・実力(記録)で勝ち取ることの すがすがしさ や 美しさ。
・公平に競い合い強いものが勝ち 努力が報われ
 皆が 泣き笑うことへの 感動。
・ライブ感。(今やっている)

これらが スポーツしかないのだ。 
最終選択肢が スポーツ番組になっているからだ。
オリンピックだけでなく 今やメディアの視聴率は NHKさんがしっかり
お金をかけたドラマかドキュメンタリー、時折ヒットする民放ドラマ、
映画、あらゆるスポーツ競技がお茶の間を席巻しているのだと思う。

その他は
 興味をひかない 求心力がないのである。

なので 朝から晩まで スポーツ番組にしてはどうだろう。

歌うものにとって重要な要素。

声量、声質、歌唱力、歌のセンスと。

これが 秀でていること 唯一無二であればあるほどいい。

どこかで聴いたことがあるとかではダメで 際立っていなければ

歌手として お金をいただくことは 恥ずかしい。

これはもっともな意見だが

歌を歌うものにとって重要な要素だとしても

売れる 売れない は まったく関係ないのだよ。って。

悩ましい事実もある。