驚き桃の木雨あられ

日頃の関心事、辛口論評やエッセイ。

音楽の授業の存在意義。

この音楽業界というものは アーテイストからすれば
とてもわかりにくい。1つに専門教育の音楽大学
いう機関があるのは何故か。
それはひとえに 芸術を世の中に広め国民の情操
や文化的生活を促進する役目を担う人を育てる為
の機関であろうと思う。

しかし テレビをみてもラジオを聞いても
もちろんクラシックを放送していることはあっても
大多数はPOPS、洋楽、AMでは演歌、歌謡曲が大半だ
NHKFMはそれでも クラシック枠は他よりも多いが
民放は比較にならないほど少ない。
また ミュージシャンのほとんどは音大を出ましたという
より好きで音楽をしていた人の方が多いかもしれない。
大学を出て 皆 どこに就職するのだろうか。
楽器会社や 音楽レーベル 作曲家も稀少、
それとも芸能事務所 音楽出版社 だろうか 
いや教育者として生涯をおくる人もいよう。
教育者といっても音楽の先生は それほどいらないので
ある意味先生も激戦だろうなあと想像がつく。

音楽をコンテンツとして発信して受信する民衆の選別の
多様化にともない = 需要が増えているとも思えない。
なので
音大から出て就職ができる機関を沢山つくるべきだと思う
のだ。

よく海外からクラシックの名手たち???を招聘して・・・
といっても 僕は誰がどう名手かわからないことがほとんど。
コンサートをしているが 日本のクラシックの人達をもっと
出すべきとも思う、 クラシックも ~会とか ~歌劇団とか 
いろいろあって 皆 音大出 なのであろうが 
ごく一部の演奏家たちであろう
他に劇団四季とか 宝塚・・それでもアメリカのブロ-ドウエイ
などと比較にならないほど興行できる商業音楽機関がない。

こうした 現状にもかかわらず おしなべて 子供達には

全部の人がそうではないことを 断っておくけれども・・・

幼年期から ピアノやエレクトーンを習わせ 
「お母さんといっしょ」で童謡を歌いとなるが結果的には 
思春期頃には今の音楽業界が発信するガチャガチャ音楽に
傾倒していき、もはや家にスピーカーのあるステレオも
ないわけで小さなイヤホン世界で、大きなリズムと重低音で 
日本語かどうかしばらく聞いていないとわからない歌を
聴きまくるのだ。 

以前 歌の大会で審査員が講評していた。
「・・・のような 発音、発声を真似しないで 歌いましょう」って。

そりゃ無理よね、満ち溢れて好きな音楽がガチャガチャ

しているもの。

僕の少年時代は スピーカー付のステレオが流行っていて
まだ よかったといえる FMレコパルなどの雑誌で
エアチェックとばかり カセットに録音していた。
普通高だったけれども音楽好きで沢山の音楽や洋楽、POPSから 
ありとあらゆる音楽が すべて新鮮だったものだ。

しかし 現代ではせっかく幼年期~中学まで義務教育で
学んだ音楽の授業で得たものは 
いったいどこへいってしまったのか? 

面白くない音楽の授業をしているのなら いっそ幼年期から音楽と 
ダンスなどもとりいれたり もっと音楽を面白く感じられる
カリキュラムに変えていくとか 歌や楽器そしてクラシックへの
関心を持たせるような体験型授業も必要だろう。

「音楽の授業」を義務教育と しているのならば
生涯に渡ってその 文化的価値や教養を 継続していける
社会システムアートプランを待ち望む。