驚き桃の木雨あられ

日頃の関心事、辛口論評やエッセイ。

パソコンの大衆化は終わったのだろうか。

パソコンの大衆化は終わったのだろうか。これを語る前に、僕のコンピュータとの関わりを話したらおおよその日本のPC大衆化への歴史がわかるだろう。

パソコンは中学を卒業する頃、15歳?1970年後半・・NECのPC8001とかSHARPのMZシリーズなどその前には現アップル社のAPPLEⅡという製品、日立のベーシックマスターなど、僕が高校生時代上がるころにはマニア的存在だったと記憶している、 科学雑誌の通販で、僕はベーシックマスターを勝ってに買ってしまい、親に叱られクーリングオフで返品した覚えがある。 25万円ほどした。

それから1977年、大学に進学してからほとんどパソコンはしなかった、昭和では52年で、その4年後1981年に社会人として就職したのが、何を考えてか法学なのにコンピュータソフトウエアの大手へ~だったが、社内にはパソコンは当時ほとんどなく、ワープロ全盛時代だった。

沖電気OASYSなどそれとNECのパソコンに一太郎というワープロソフトをFDからインストールしてワープロをしていたものだ。花子という図形ソフトもあったかな、1986年ぐらいになる当時はインターネットなどなくKDDなどの国際通信システムや、アメリカのDBの権利を販売する会社に転職し他から、再度マニアックなパソコンメカやシステムソフトが好きになっていった覚えがある。

IBMメインフレームの基本ソフトの日本企業のSPY時間などがあった頃。

IBMの5550などが企業で普及し始めた。 

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まだまだ高値の花のPCで企業が取り入れはじめ単体で使っていた。

1990年に発売されたマイクロソフトWINDOWS3.0が パソコンの歴史を大きく大衆化へと導いた。画期的な製品でGUI EUI つまり 描画機能もカラーとなり、ユーザーが使いやすい直感的なOSを搭載したパソコンの登場となった、とわいえアップル社の機能的にはコピーだった・・・が、アップル社のアップル(現在への流れのMACの先祖)などはアップル社しか製造していずとても高かったので、このウインドウズ搭載PCは瞬く間に世界的なブームにもなったのだ。

この1990年を境にBG AGと業界では密かに言われている

Beforeゲイツ Afterゲイツ だ、 ==> ゲイツとはビルゲイツのことを指し パソコン革命だった。

・・・ 続く