驚き桃の木雨あられ

日頃の関心事、辛口論評やエッセイ。

情報の真偽を見極めることの重要性。

40歳をこえ50歳をこえ人は年齢がいけばいくほどに世の中に飛びかうほとんどの情報が要らなくなってくるようだ。

人それぞれ、かもしれぬがおそらく大半はそうであろう。

私のように20代からコンピュータを中核にした仕事に従事したようなITの歴史を知っている人間にとって、パソコン通信を400ボーなどといったカップラーを通してやっていたような時代から、新聞雑誌を除く以外からの情報を得る方法は今や数百倍になっていて、玄人しか得られなかったことが大衆化し、容易にコミュニケーションと一つとして確立しまだ発達している。

それはネットの世界だけではなく、衛星放送など加えれば、洪水のような情報量である。 昭和60年代ぐらいまでは衛星通信か海底ケーブルを利用して他国と通信をしている会社にいたが、まだまだ企業レベルであったし、それだけでも凄いことだと思ったものだ。

現代は数日で江戸時代に得る情報50年分程度を知ることができるそうだ。

さて、それらが自身にとって有益な情報かといえばそうでなく、80%以上は自分に関係ない、不必要なことであるが、そんな他の情報を知る受けることで自己存在認知に根ざした潜在的欲求もあるようだ。社会、コミュニティの一員でありたいという欲求であろう。

若ければ若いほど自分以外を知りたいという欲求が強く、その許容範囲も大きいと考えられる、加えて20代、30代ぐらいまでは推論思考がまだできない発達段階で、いわば知識の蓄積、様々な感受性の蓄積が浅いので、先の推論や自己防衛能力がまだまだ育っていない。だから多くの情報を脳は無尽蔵に欲しいのだ。

しかし、年齢がいって40歳ぐらいをこえてくると推論脳と自己防衛能力脳が次第に完備されるようで、それをこえて、さらにシニア世代になれば、ある程度の未来予測、自己が破壊されないような管理を自然とできるようになるのである。家族や友人、社会との関係性も育っていくため、生命維持や自身の趣味思考以外の他からの情報の必要性もなくなっていく。

そしてはちゃめちゃな行動が若者の特権であるが、その逆で冷静な分析と行動がおじん、おばんになった時の英知なのだ。 おちつきとでもいおうか。

さて、目を転じてネットやラジオ テレビ 新聞 雑誌、すべてのメディアに載る情報を考えてみると情報過多状態になっており、その属性、種類も多く、その真偽すら分らず、大半を鵜呑みにしてしまうことが多い。 

昨今、言われているのが偏向報道フェイクニュースなどの ニュース類。

芸能ニュースなどはどうでもいいが政治や紛争、戦争などの重要な情報は、自分で実際に見聞きした内容でないから、ある人の観念や思想など、フィルターがかかっていたり、ある方向へ誘導する情報であるかもしれないということだ。

戦争になってまず占拠するのがメディアであることから、情報を受信する際の大切なポイントはここだ。 特にニュース報道、論説、ワイドショーなどでの解説などなど、信じさせることに長けているし、大衆は鵜呑みにしやすい。メディアは政治家より強いと言われる所以。

その情報は真実か? 偏向報道されていないか? 誰が書き話しているか?

これを念頭におき、ニュースなど情報を受とらなければ、間違った判断をしてしまう、極端な言い方をすればマインドコントロールされてしまうだろう。

 

情報がいくら多くても 人は24時間という限られた1日の時間枠、人生80年90年の中でしか生きられないという制約がある。 死に近づけば近づく程に、時間が貴重な宝石になっていく、その意味で、受ける情報、発する情報の内容も価値あるものでなければならないと思うのだ。

 

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