驚き桃の木雨あられ

日頃の関心事、辛口論評やエッセイ。

To be popular!?すべてなのか?

この世は所詮、
不条理な世界であると五木寛之氏は語っていた。 同感だ。
 
不条理な世界だからこそ、生まれた意味 生きる価値
があると思うのだが。
 
氏が書いている内容によれば
恵まれて育ち恵まれて暮らし恵まれて死ねればよいし
トントン拍子に努力もなく 行く人もいる。
それは努力をしたからだと 他は論評するが
本当に トントン拍子でいって努力のカケラもしていないケースもたくさんだ。
 
頑張れば 出来るなどと他に言われつづけ
いくら頑張っても やっぱり実らないのなら 
生きている時間がもったいないので
もっと有効に つかったほうが良いだろうとも。
 
加えて 運 というものは 存在しないのだと
僕は思う。 これはいろんな事象の
関係性がとれないので やっつけで 運 という言葉に
封じ込めただけで すべては必然に 現れた事象であると思う。
 
だから精神論などというのは所詮は 論であって
すべての事は自分にしか わからない事実だ。
自分自身の世界で捉える事象にすぎない。
 
普遍であり真実は 時間経過だけで
人間は歳をとる どんなに若くても 歳月は平等に訪れ 
やがてはこの世から消えることだけだ。
 
しかし こと芸能の世界ほど不条理な世界はなく、
一般ビジネスよりも 自由であるが 
商売という世界では、崇高な音楽という身をまとった悪魔。
いつのころからか 
芸術というものを経済原理の歯車に入れてしまったところから間違いが始まった。
商品を売るという行為と真逆にある精神性の高い美が
打ち砕かれてしまったのだ。
 
もう10年ほど歌を間断なくやってきて
年齢を重ねるごとに 自分の 素直で純粋な根っこが
次第に 腐り はじめていることが分る。
 
つまり イヤな奴が自己に 存在してくるのだ。
二重人格だ、見かけは いい人が 実は悪魔のような人だった
というのが 時折ニュースなどであるが 
そこまでいかなくても
自己に 許せない人格が台頭するのだ。
大きな夢をみて頑張ってスターや女優になった人は
性格が捻じれている というが納得できる。
 
外では素敵な振る舞いをしていてもね。
そりゃそうだ 椅子とりゲームの 厳しい世界であり 
なかなか共生して皆でと できる世界ではないからだ。
わたしは わたしはと いう思いが 
すばらしい人間性を殺いでしまう。
 
他者を抜いて 前へ 前へ 出て 
虚像、偶像をつくってでも 人気をとらなければ
人から好かれなければという思いでいる 
喰えない現実が朝 起きた時に 襲うだろう。
 
それがうら若き女性であれば あきらめる瞬間もあり
どこかに嫁ぐ手もあるかもしれないが 
歳ばかりは許してくれないので
男性であれば年齢がいき成功していなkれば
経済的に結婚すら できないだろう。
 
なので、 真の 俳優業を目指すなら
美輪明宏氏 曰く 芸と結婚する ことだ。と。
 
日本は 特に商業ベース 第一なので  
たとえば 音楽の才能や 演劇の才能とか実力とかは
全く関係ない。
優先されることは 
第一に若いこと、
次に ビジュアル(ルックス)
次にジャンル と 言っても 過言ではなかろう。
それによって 創られた 虚像を元に 宣伝、マーケティング
していくのだ。 芸術から遠く離れていく、
何がなんでも To be popular! をつくりだすこと
人気をつくって 売ることが すべてである。
 
見失ってはならないのは
芝居にしても 声優にしても 音楽にしても 
真の感動を与えられる人はは 
この世に ごまんと存在しているのだ。