驚き桃の木雨あられ

日頃の関心事、辛口論評やエッセイ。

民放テレビをホント見なくなった。

今に始まったことではないけれど 1日に TVを見る時間と

いったら平均15分あるかないか 夜の天気予報 トップニュース

ぐらいだ。

NHK大河も今年は面白くない感じなので見ない。

残すところ MXのよしもと新喜劇だったが これもマンネリかな。

 

放送大学のメニューの方が 面白いものねえ。

宇宙の起源とか オペラ座の建築の内部の話とか・・・

タモリさんの 探訪番組も タモリさんが 如何に地政学

詳しいじゃを 持ち上げている ところもあって

毎回  すごいですねえ とやっているのが鼻についてきて

最近 みなくなったかな。

 

LIFEは ためにみている。 昔の ゲバゲバ90分とか

オレたちひょうきん族 を NHKさんがやっているような番組。

で 時間もとられず 面白いかな。

後は バラエティは あいかわらず 芸能人寄せあつめでワイワイか

クイズ番組だろうけど チャンネルをひねれば 有吉君がでて やって

いる感じ。 なので テレビは家族がつけているのを コーヒーカップ

もって 素通りして PCへ向かうことの方が多い。

 

益々 民放テレビの 存在価値が なくなっているのではないかと 

思われる。

 

衛星放送も 止めた だって うちの マンションうつらないので

ケーブル加入しないといけませんし 第一アンテナも方角的に無理。

電波難視聴ビルですワ。

 

===>アマゾンプライムビデオ か GYAOで映画三昧となりました。

 

 

 

 

 

 

日本人POPSシンガーが世界で太刀打ちできないのは?

日本人のPOPS歌手が世界で太刀打ちできないのはなぜか?

1つは言語の問題だろうか。
どんなに国内で有名に なっても世界にいって歌ったら
あなたはシンガー?なのかと言われてしまうのは情け無いものだ。
イタリアにいったら 普通の人がすでに 響く声なので
日本流の細い歌声だと あんた何を歌っているの?って言われる。

この疑問はずっとあったが、名音楽プロデュサー曰く。
全米であつまった一流のシンガーの共演
 「We are The World 」 を聴けばわかるよ と言われたことがある。  

声量 歌唱力 訴求力 個性が キラキラ融合し独自性のあるのが
わかるからだ。 この歌手の声や歌を聴いた時、
日本人がよってたかっても 叶わないと・・・。

口先で 歌う つまり 男性の場合 地声の高音を逃げ
日本のPOPS発声をやっていては声量でなく 
完全にマイクがないと ホールでノーマイクで歌わせればわかるが 
美しさが剥げ 響かない やせた声になる。あれ?といった具合。
河村隆一さんが 昨今ノーマイクに挑戦しているが やっぱり
基礎のベルカントをやっていないので オケに負けてしまうし
男性的な 腹の押さえが やりずらそうだ。

その為どんなに美しく輝かしい声でも年齢をいけば声帯が落ち
廃れるものだ。

なので 僕は一旦地声のPOPS歌い方式 MIX的な歌い方や歌謡曲的な
歌い方を 5年前に捨て去りベルカント発声へ完全に指向した。
これまでのような 地声での高音の出し方はできなくなるよと言われたのを
覚えている。

なので 今は地声高音部は 逃げず体全体で支えることができる。
こうする事で 声量もつき 男性的な声を 出すことができる。

 

ところで ボブディランのノーベル賞は すばらしいものです。
平和を提言をした 詞の芸術表現における偉大さ、
アンチ戦争、メッセージを聴き手に任せているという。

歌は その人の心の鏡であるので 時に その時の心と状態と
重なり心をうつ。
メッセージというものは 永遠に記録されていく。

僕の歌のモットーは やはり 「We are The World 」のシンガー
達のような 歌の世界の一流の仲間入りで あって
何度もどこか聴いたことのあるような グルグル回っているだけの
そこらにある 日本のPOPSシンガーとは違う
新しい歌の世界の創造だ。

いのなかの蛙 大海を知らず にならぬように、
いつのまにか日本にいない 武者修行に 世界のどこかに
いるかもしれない。 一流を目指したいものだ。

明日は 秋のソロライブ。
楽しくも 緊張感をもって やってみたい。

オリンピック祝賀パレード80万人って!?

私は行ってはいないので ニュースで知った報道ではあるが
前回が50万人のファンだというから +30万人も増えた。

ニュース 報道では ファンと 言っているが ファンじゃなかろうに。

なんでも 人が あつまれば メディアはファンと称するクセがある。
凱旋パレードやるから  観光の街にたまたまいた人から、
見物に と見に来た人が大多数でなかろうか、
日頃から それぞれの競技や選手に関心があって 
日夜 応援し 視聴しているのであればファンと言えようが 
果たして。
なので 人出 と言うのが 正しいだろう。

マスコミの言動は 年齢がいけばいくほど 懐疑的になり
うのみにしなくなっていて コレって公平性にかけてはいないか? 
などと 斜め目線になってくる。 
報道は 人が信じやすく、戦争になれば テレビ・ラジオ・新聞局を
占拠するは 人民を 洗脳や誘導するためでもある。

しかし 80万人は 小さな街の何十倍もある。
大規模都市の人口に 匹敵する。

何故こんなに 増えたのだろうか。 あくまで私見だけれどー,

・他のテレビやラジオ放送も 今や 全く面白く無い。
・ニュースは 著名人がしでかした、有名人の痴話話ばかりで
 もりあがり 不正 汚職などばっかり、暗い。他人の悲しい話。
・お茶の間の崩壊。国民的な心の支柱がもはやない混沌とした時代。
・文化をリードする音楽や美術なども今一つ 面白く無い。
・大多数の人がインターネットをつかえない(シニア以上の人口)
 のに 若年中心ばかりの 話題や放送ばっかり。

なので ===>  スポーツだ! となる。

これも 私見であるが、

・やっている人達の 心が精神が 純粋。
・実力(記録)で勝ち取ることの すがすがしさ や 美しさ。
・公平に競い合い強いものが勝ち 努力が報われ
 皆が 泣き笑うことへの 感動。
・ライブ感。(今やっている)

これらが スポーツしかないのだ。 
最終選択肢が スポーツ番組になっているからだ。
オリンピックだけでなく 今やメディアの視聴率は NHKさんがしっかり
お金をかけたドラマかドキュメンタリー、時折ヒットする民放ドラマ、
映画、あらゆるスポーツ競技がお茶の間を席巻しているのだと思う。

その他は
 興味をひかない 求心力がないのである。

なので 朝から晩まで スポーツ番組にしてはどうだろう。

歌うものにとって重要な要素。

声量、声質、歌唱力、歌のセンスと。

これが 秀でていること 唯一無二であればあるほどいい。

どこかで聴いたことがあるとかではダメで 際立っていなければ

歌手として お金をいただくことは 恥ずかしい。

これはもっともな意見だが

歌を歌うものにとって重要な要素だとしても

売れる 売れない は まったく関係ないのだよ。って。

悩ましい事実もある。

 

 

テレビをみなくなった理由

この10年ぐらいのうちに ほとんど TVをみなくなった。

地デジでは見る番組 7時のニュース、天気予報、大河ドラマ
よしもと新喜劇、時折興味をひくドラマ ぐらい。
それ以外は 個人的につまらない番組ばかりに感じて

テレビは消している。

あくまで 僕の主観であるが TVみない原因が以下。

1.同じ顔ぶれのコメディアンばかりで構成されたバラエティ番組、
情報番組 ・・・ ゲラゲラと他をちゃかしたりしながら 進行していて
うるさくみない。

2.歌番組・・・ 大流行歌は もはや 生まれない時代。
演歌と往年の歌手と、若手でも知らないバンドが登場する。
心をうつ歌もないので みなくなった。

3.文化人が並んでコメディアンが司会するなど
時事評論をおもしろおかしくやっている番組も
数個あってワイドショー化している。 ネットで情報収集十分なのでみない。

4.出演している人が 自分の年齢よりも下の方々が大多数になったこと。

通信キャリアの選択肢

スマホを新しく代えました。
これまでは auだったのですが FREETEL社へ。

近年メジャーのキャリアであるドコモやauソフトバンクそして中堅の
Ymobileそして追随してUmbile・・・・沢山の通信媒介の会社が現れて
きた、基本的にハードウエアの無線基地局とかアンテナなど
大手のNTTやKDDIがインフラを整備しているので 
中堅どころ以下は、その設備を借りているため、
おそらくは ハードウエア設備の借り貸しが大手キャリアの儲けである
のは間違いはない。収益構造は完全にピラミッド型であろう。

しかしながら ユーザーからみれば より品質が高くてより低価格で
あればそれでいいので、 大手キャリアでなくても当然いいわけである。
デメリットとして思いつくのは 大災害の時には当然回線制御がかかり
NTTやauが優先的に使用できるだろう。これぐらいだ。

スマホの時代になって本とうにいろいろと選択巾が広がって
いい時代になったと思う。

それから ポケットWIFIは 今ZMI社のものを使っているのですが
コレは別途 このブログに書いて見たい。

暗いおじさんたち。

音楽を表現するのに上手いも下手もないといったらおしまい。
今日は 暗いおジさんの話。
 
アイドルまがいの歌手なのか 歌手まがいのアイドルの子たちが
歌を歌っているのを時折みかける。
情熱と若さとお色気を ふりまき 女の子パワー爆発で ギターをもち 
キーボード あるいはダンスをしながら なにやら 歌っている、
それだけを こうして文字にしてみれば いまどき 「青春」というのは死 
語になるけれど いいねえ! ということになる  が、

それは良しとして そういった子のライブに群がるのは ほとんどは
僕等男性陣で ・・・僕は絶対群れないですぞ。
第一そういう音楽には興味がないから。

まあ アイドルが 恋人の代替にしては ちょっと年齢が離れすぎて
いたりするけど どうも音楽を聴く姿勢と言うより
アイドルのような ふり?で歌っている女の子たちをみて 
楽しんでいると いう傾向が強い。
そう 群がっているのは 前から 思うけれど 暗いイメージ色の
おじさんたちが 集団にいて なんとなく 立ち入り難いし気持悪いものだ。
なんでこうも明るさというものがなく暗~い感じで一団と化すのだろうか。

ライブが終わると 握手とCD物販の長い列だが、 
なんっていうか音楽のエッセンスである 感動とかといった音楽が与える
本質からもはや離れた存在の中にある。 
こんなのばっかというのも 困るけど 物販や グッズには 勢いもあり
その点は 商売上手のアイドル歌手だと。
売れないけど ファンが近くで話せる 地下アイドル歌手というのも 
いるらしい・・・。

アイドル歌手達の使命は 容姿や動き(ダンス)など+若さなどが
重要なキーポイントで音楽は2の次 だから 同じに議論できないが
少なくとも そうしたアイドル女子は 暗いおじさんに癒しを与えている
のだとうと思う。それが使命だろうと。

僕のファンの方々は気品のるお洒落で 穏和な方が多い
純粋に音楽を絶賛し 感動され、これぞ 歌手の存在と 
視聴者の存在が 明白に1つに溶け合い芸術として価値をもつ。
そこに 1つの使命をもっている。